
細胞膜に傷がついた細胞の運命は、修復されて生き延びるか死ぬかの2択と考えられていたが、最新研究で「細胞老化」という第3の道があることが示された。老化細胞は慢性炎症や組織の機能低下を招くが、その原因はDNAの傷や変化によるものとされてきた。細胞膜の損傷もまた老化を引き起こすという今回の発見は、老化研究に新たな視点をもたらす。変形性関節症や動脈硬化など加齢に関連する疾患への介入を通じ、健康寿命の延伸につながる可能性を秘める。
イラストレーション/北澤平祐

細胞膜に傷がついた細胞の運命は、修復されて生き延びるか死ぬかの2択と考えられていたが、最新研究で「細胞老化」という第3の道があることが示された。老化細胞は慢性炎症や組織の機能低下を招くが、その原因はDNAの傷や変化によるものとされてきた。細胞膜の損傷もまた老化を引き起こすという今回の発見は、老化研究に新たな視点をもたらす。変形性関節症や動脈硬化など加齢に関連する疾患への介入を通じ、健康寿命の延伸につながる可能性を秘める。
私たちの体は、約37兆個の細胞からできている。その一つひとつの細胞は、細胞膜というごく薄い膜に包まれている。厚さはわずか5〜10nm。シャボン玉よりも薄い膜だ。それほど薄い膜でありながら、細胞膜は生命活動の最前線にある。呼吸、心臓の拍動、血流、筋肉の収縮。そうした日々の営みの中で、細胞膜には小さな傷がつく。
もちろん、細胞には傷を修復する仕組みがある。例えば運動で筋肉が収縮すると、筋細胞の膜にはナノスケールの小さな穴が開くが、通常は数秒のうちに修復される。修復できなければ細胞は破裂し、死んでしまう。これまで、細胞膜が傷ついた後の運命は、大きく2つだと考えられてきた。傷が治って生き延びるか、治せずに死ぬか。しかし、沖縄科学技術大学院大学(OIST)膜生物学ユニットの河野恵子准教授は、そこにもう一つの運命があることを明らかにした。
「細胞膜に傷がつくと、細胞は死ぬのでも、完全に元に戻るのでもなく、老化することがあるのです」
この発見は、老化研究に新しい視点をもたらした。細胞の老化と聞くと、テロメアの短縮を思い浮かべる人もいるかもしれない。テロメアとは、染色体の末端にある構造で、細胞分裂を繰り返すたびに少しずつ短くなる。ある程度まで短くなると、細胞はそれ以上分裂できなくなる。また、紫外線、喫煙、放射線、がん化学療法などによってDNAが傷つくことも、細胞老化の原因になる。これまで細胞老化は、主にDNAの傷や変化によって起こると考えられてきた(図1)。
図1 細胞老化の原因これまで細胞老化は主に紫外線や喫煙などによるDNA損傷で起こると考えられてきたが、DNAだけでなく細胞膜の損傷もきっかけとして細胞の老化が引き起こされることが分かってきた。
河野准教授が見つけたのは、それとは異なる経路だった。DNAではなく細胞膜の損傷をきっかけに細胞が老化するというのだ。これは科学誌Nature Aging に掲載され、表紙にも採用された。描かれているのは、割れた器を漆と金で継ぐ「金継ぎ」を思わせる絵である。金継ぎでは、壊れた器の割れ目を金でつなぎ、傷を抱えたまま新しい姿として生かす。河野准教授たちの研究も、そのイメージに重なる。細胞膜に傷がついた細胞は、傷を修復できても元に戻るのではなく、性質を変え、老化細胞になることがある。
老化細胞とは、不可逆的に増殖を止めた細胞である。がん細胞のように増え続けるわけではない。実際、老化細胞には良い働きもある。例えば傷ができたとき、その周辺に老化細胞が生じると、免疫細胞を呼び寄せ、傷の修復を促す。その後、老化細胞が免疫細胞により適切に取り除かれれば、組織はきれいに治っていく。
問題は、老化細胞が残り続けた場合だ。老化細胞は、細胞老化随伴分泌現象(Senescence-Associated Secretory Phenotype:SASP)が起こり、炎症性物質を分泌し続ける。蓄積すると慢性炎症から組織の機能低下や線維化、がんなど加齢性疾患の一因になると考えられている。
「以前は、老化した細胞は悪いものだから取り除けばよい、という考え方が強かった。でも今は、老化細胞にもいろいろな種類があることが分かってきました。すべてを一律に取り除くのではなく、どの病態で、どのタイプの老化細胞が問題になっているのかを見極め、個別に狙う必要があります」
河野准教授の研究の出発点は、細胞膜の傷を修復する仕組みを知りたいという問いだった。大学院時代から、酵母を使って細胞の仕組みを調べてきた。
「ヒトの細胞は車のようなもの、酵母のようなモデル生物はスクーターのようなものだと説明しています。どちらもタイヤとエンジンがあって走る乗り物ですが、スクーターはタイヤを1つ外しただけで倒れてしまう。遺伝子の働きを調べるには、シンプルな生き物のほうがずっと分かりやすいのです」
酵母の遺伝子は約6000個。河野准教授は細胞膜に傷がついたときに生き残るために必要な遺伝子を調べるスクリーニングを行った。結果、48個の遺伝子が、細胞膜が損傷した後の生存に欠かせないと分かった。
ところが、ここに思いがけない事実が隠れていた。48個のうち3分の1ほどが、すでに老化や寿命との関連が報告されていた遺伝子だったのだ。
「細胞膜を修復する因子を探していたのに、なぜか老化や寿命に関わる遺伝子がたくさん出てきた。最初はまったく意味が分かりませんでした。でも、もしかしたらDNAではなく、細胞膜に傷がつくことでも細胞は老化するのではないかと考えたのです」
実験してみると、その仮説は当たっていた。細胞膜の傷に弱い酵母は寿命が短くなり、逆に傷を修復する力を高めると寿命が延びた。さらにヒト細胞でも、細胞膜の損傷によって細胞が老化マーカーを示すことが確かめられていった。河野准教授が明らかにしたのは、傷を修復しながら老化するという第3の宿命だった(図2)。
図2 細胞膜が傷つくとどうなるか細胞膜が傷ついた細胞の運命には、傷が治るか治せずに死ぬかの2つに加え、傷を修復しつつ老化するという第3の道がある。
ただし、試験管内の細胞で起きたことが、人間の体の中でも本当に起きているとは限らない。研究チームは細胞膜損傷による老化細胞の遺伝子発現パターンを、人間の皮膚創傷部位の老化細胞のパターンと比較した。すると両者はよく似ており、しかも従来のDNA損傷型老化細胞よりも、人間の創傷部位の老化細胞の特徴に近いことが分かった。
「もしかしたら、私たちが研究室で作った細胞膜損傷による老化細胞が、人間の体の中にある老化細胞の一部を説明しているのではないか。そう考えて、研究を進めています」
細胞膜損傷による老化の影響が及ぶ範囲は、創傷治癒にとどまらない。体中で力がかかる場所では、細胞膜にも常に負荷がかかる。そこで生じる小さな傷の蓄積が、変形性関節症や動脈硬化といった加齢性疾患の一因になっている可能性がある。
「例えば変形性関節症のように、年齢とともに増えてくる疾患について、若いうちから介入すれば発症を遅らせることができるかもしれません。血管の老化についても、細胞膜の傷へのアプローチが有効かもしれないと考えています」
老化研究を話題にすると、「若返り」や「不老不死」を連想する人も多い。だが河野准教授が指摘するのは、より根本的なことだ。自然界には、老化が非常にゆっくり進む動物がいる。ハダカデバネズミは、同じネズミの仲間よりはるかに長く生き、死ぬ直前まで子どもを産み、がんにもなりにくいことで知られる。
「生きていることと老化は、同じものではなく、分けて考えられるんです。老化を免疫の過剰な活性化や慢性炎症として捉えると、それが低く抑えられている生き物が老化しにくいことは理にかなっています」
つまり、老化のスピードは介入によって変えられる可能性がある。では、老化細胞を減らすことができたら、体はどう変わるのか。マウスの実験では、老化細胞を薬で選択的に取り除く「セノリティクス」と呼ばれる治療によって、脱毛が改善されたり、筋肉・肝臓・大動脈など複数の臓器機能が改善したりする結果が報告されている。ただし、人間で同じような効果が安全に得られるかは、まだ研究段階だ。
「私たちが目指しているのは、健康寿命の延長です。100歳まで生きるとしても、自分で食べることができ、畑にも出られる。ある日お布団の中でポックリ亡くなっていた。そういう終わり方をできる人を増やすことを目指しています」
河野准教授は現在、老化細胞だけを選択的に減らしたり、細胞の老化を遅らせたりする分子の探索を進めている。着目するのは、沖縄の食材だ。OISTが位置する沖縄は、長寿地域として知られてきた。伝統的な食材の中に、健康長寿に関わる分子があるのではないか。すでに試験管内では、若い細胞にはほとんど影響を与えず、老化細胞に作用する候補化合物が5種類ほど見つかりつつあるという。
「将来的には、オルガノイド、つまり試験管内で作るミニ臓器を使って、例えば高血圧の人に老化細胞がたまりやすい状況をどう抑えるか、というような薬の開発につなげていきたいと考えています」
河野准教授は岡山県南端の海辺の町で、山や海で遊びながら育った。研究者を志したきっかけは、高校1年生のときに読んだ新聞記事だった。東京大学の浅島誠先生の研究を知ったのである。アクチビンという物質に、イモリの卵の一部を漬けておくと、試験管の中で拍動する心臓ができるという内容だった。当時、脳死からの臓器移植が大きな社会問題になっていた。まだ動いている心臓を取り出してよいのか。立花隆の『脳死』を読み悩んでいた河野准教授は、その記事を読んだ瞬間に思った。
「これで解決するのではないかと思いました。試験管内で臓器を作れるようになれば、脳死の人から心臓を取ってこなくてもいい」
そこから猛勉強し、東京大学理科二類に合格。入学後には、浅島先生が指導する実習に参加する機会を得た。約40人の学生のうち、拍動するイモリの心臓を作るところまで成功したのは数人、その一人となった。
「動いているのを見たときは、本当に感動しました。夢がかなったと思って。研究者になろうって決めたのはその頃です」
東大大学院で博士号を取得し、ハーバード大学医学部ダナ・ファーバーがん研究所でのポスドクを経て、名古屋市立大学大学院医学研究科の中西真教授の下で講師として細胞膜損傷と細胞老化の研究を進めた。その頃、結婚し2人の子どもが生まれた。研究者の女性の出産にまだ偏見があった時代、中西教授は理解が深く、子育ても全力で支えてくれた。2017年12月、産後わずか3カ月でOISTに准教授として着任した。
OISTを選んだのはなぜか。「文化が自分に合っていると感じたからです」と河野准教授は言う。これまでどこも素晴らしい研究環境だったが、どこかで「自分はここのメインストリームではない」という感覚がつきまとっていた。東大は学生のほとんどが男性だった。ハーバード大は白人男性が中心の世界だった。名古屋市立大医学部には医師の文化が色濃かった。
「誰かに何かされたわけでも、差別されたわけでもありません。むしろとても良くしていただきました。でも、なんとなく、ここが自分の活躍できる場所ではないのかな、という感覚がありました」
OISTに来て、初めて「ここだ」と感じた。世界中の研究者が集まるラボは、「女性なのに」「子どもがいるのに」と言われることのない場所だった。「研究者のディズニーランドだ」という表現を聞いて、深くうなずいたという。
ただし、細胞膜の傷が細胞老化を引き起こすという研究は、最初から受け入れられたわけではなかった。
「研究の世界の常識と違うので、なかなか信じてもらえませんでした。何十年もこの分野をやってこられた先生たちから、そんなはずはないと言われました」
論文を投稿しては退けられ、データを足してはまた投稿する。その繰り返しが、実に8回続いた。
「自分でもずっと半信半疑のところがありました。試験管の中だけで起きる現象なんじゃないかという疑いも、最後まで消えなかった。でも、どんどん強いデータが出てきて、人間の創傷部位の老化細胞との類似性も示してくれた。やっぱり本当だったんだと、ようやく安心できました」
では、この研究の成果が社会に届くまでの間、私たちに何ができるのか。河野准教授は、特別なことではなく、基本的な生活習慣を挙げる。
「程よく運動して、規則正しく眠る。あとは抗酸化作用が高いといわれる食べ物を摂るのがいいのではないかと思います」
適度な運動は、老化予防にプラスに働く。筋肉の収縮によって老化細胞が生じることもあるが、それが筋肉の再生や肥大を助ける方向に働く。食材としては、ゴマや柑橘類、新鮮な野菜などが挙げられる。フラボノイドを含む成分には、老化細胞に作用するものが多いことも分かってきているという。
「今の60歳の元気さで80歳まで過ごせたら十分だと思うんですよ。そのくらいのことは、そんなに難しいことではないのかもしれないと思います」
老化は、ある日突然始まるものではない。日々、細胞膜には小さな傷が生じ、修復され、時に細胞の運命を変える。その積み重ねの先に、私たちの体の時間がある。小さな傷から、健康に老いるための大きな手がかりが見え始めている。